高輪中学校・高輪高等学校
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■ 「創立記念日を迎えて」
 

4月18日をもって、高輪学園は創立122周年を迎えました。

「創立記念日を迎えて」

 学園の歴史は古く、明治18年(1885年)に京都の西本願寺が普通教校を創立した事に始まります。明治21年に普通教校を文学寮と改め、さらに明治33年に、模範仏教中学校と改めております。翌明治34年に現在のこの高輪の地に移転してきました。この高輪の地に仏教大学(現在の龍谷大学)、仏教高等中学校・模範仏教中学校よりなる一大学園をつくりあげております。
 明治37年、大学と高等中学校は京都に帰り、模範仏教中学校のみ高輪の地に残り、校名も第一仏教中学校と変えております。
 明治39年には西本願寺から離れ、校名も第一仏教中学校から、高輪中学校と改め、普通課程の中学校として独立したのです。新しく誕生した高輪中学校の生徒数は270名に達しており、普通教校が京都に開設された明治18年から、21年後ということになります。初代校長は龍口了信(たつぐちりょうしん)先生で、先生は明治の文豪夏目漱石と親交があったことが江藤淳の書物で知ることができます。
 宗教から分離した翌年、明治40年、学校行事の一つに義士祭が取り入れられ、終戦まで続けられていました。城南地区の名物となって慶應義塾の三田祭と共に有名で、戦前の卒業生には強い印象を与えていたもので今でも当時の卒業生は事あるごとに声高らかに「義士祭の歌」を合唱するほどです。
 大正6年秋、関東地方を襲った大暴風雨は死者272名、倒壊家屋2000戸余り、床上浸水98,000戸という大きな災害をもたらし、さらに1ヶ月も経ずして風速43メートルもの大暴風雨が再襲来し、この台風で、現在の本館に建てられていた由緒ある校舎と現在のグランドに建てられていた2階建寄宿舎が損壊し、その台風によって高台からくずれ落ちた土によって、「首洗い井戸」がうまってしまったことが記録にあります。その年に現在のグラントに木造2階建校舎が建築されました。ところが、昭和3年6月の火災により校舎を全焼するという不幸に見舞われ、一時麻布三の橋の高等工業専修学校(現在の法政大学の一部)に間借りをして授業が行われましたが、学校関係者の努力により、昭和5年、当時としては、周囲を圧するような堂々たる鉄筋4階建ての新校舎(現在使用している前の校舎で、当時は西校舎、中央校舎と呼んでいました)が完成し、東校舎ができたのは昭和10年で、創立50周年式典も挙行され、現在の校歌が設定されたのもこの時でした。現在事務所前に掲げてあります油絵は、当時の中央校舎屋上からから品川沖を眺めているものです。戦時中は、高輪学園を観海学園と呼んだ時期もありましたが、戦後高輪学園にもどしたのです。
 昭和22年、新制高輪中学校、昭和23年4月、新制高輪高等学校として発足しましたが、児童数減少に伴って昭和43年から中学校の募集を停止しました。昭和45年3月、中学校最後の卒業生を送り出し、休校となりました。休校していた高輪中学校を平成元年に再開し、中高一貫校として今日に至っているわけです。
 高輪はこの4月18日をもって、創立122年になりました。平成2年の新校舎建築から体育館の完全冷暖房設置まで長い年月がかかりましたが、教育は一長一夕に実を結ぶことはまれで、これからは与えられた教育環境のもと、そこに身を置いている1人ひとりが自分の使命を自覚し、緻密(ちみつ)な努力を続けていくしかないと思っております。
 以上、高輪学園の歴史概要です。
詳しくは、図書室におかれている「高輪学園100年史」をご覧下さい。

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