学園のあゆみ

 日本が近代国家としての道を歩み始めた明治18年 (1885)、今日の高輪学園の前身である「普通教校」が京都西本願寺の手により開校しました。明治34年に現在の高輪の地に移転し、明治39年には仏教との関係を離れ、新時代にふさわしい、広い知識を修めた人材の養成を目的とした教育機関として「高輪中学校」と改称しました。  

 そして昭和22年、学制改革に伴い校名を高輪中学校・高輪高等学校として新しく出発することになりました。昭和45年に中学校は一旦募集を停止しましたが、平成元年、さらなる教育の充実と発展を期して再開し今日に至っています。  

 平成27年(2015年)、本学園は創立130周年を迎えました。都心とは思えない静かな環境と、平成8年に完成した新校舎・冷暖房完備の体育館などの充実した教育施設の中で、新しい社会の進展に対応し、自らの意志で真理・価値・生きがいを探求し、大きな隣人愛をもって社会の発展に尽くす若者を世に送り出したいとの教育理念のもと、中学・高校6年間一貫教育で「豊かな学力と自主精神」を育む教育実践を行っています。

沿革 (概略)

明治18年京都西本願寺により「普通教校」創立、
4月18日の開校式を現高輪学園の創立記念日とする。
明治21年西本願寺の学制更改により「文学寮」と改称
明治33年西本願寺の学制更改により
「模範仏教中学」「仏教高等中学」「仏教大学」
と改称
明治34年高輪の地に移転
明治35年模範仏教中学は「第一仏教中学」と改称
明治37年大学・高等中学は京都に移転し、
「第一仏教中学」のみ高輪に残留
明治39年第一仏教中学は「高輪中学」と改称。
仏教との関係から離れる。
大正 6年台風により高台の校舎倒壊
大正 9年「高輪商業学校」開設
昭和 3年木造2階建校舎焼失
昭和 5年鉄筋4階建中央・西校舎完成
昭和10年創立50周年。校歌制定。鉄筋4階建東校舎完成
昭和22年新制「高輪中学校」発足
昭和23年新制「高輪高等学校」(普通科・商業科)発足
昭和30年「高輪高等学校」商業科を分離し、「高輪商業高等学校」を設立
昭和45年「高輪中学校」休校
昭和59年校訓「自主堅正」制定
昭和60年創立100周年。「高輪学園百年史」発行
平成元年「高輪中学校」募集再開
教育理念の制定
平成 7年新体育館完成
平成 8年「高輪商業高等学校」廃校
平成 8年新校舎完成
平成10年新グランド・部室完成
平成11年海外学校交流開始(中国)
平成14年算数午後入試導入
平成15年授業5日間・学校6日間(土曜講座開講)
平成17年授業6日制とする
平成18年創立120周年記念誌「千学児(第4号)」発行
平成18年イギリスサマースクール開始
平成19年海外学校交流オーストラリアとする
平成22年校舎空調設備全面改修工事完工
平成23年緊急連絡用一斉メール配信制度導入
平成24年校務ソフト運用開始
平成26年高校入試を停止
平成27年創立130周年記念観劇会(帝国劇場)
平成28年創立130周年記念誌「千学児(第5号)」発行
平成29年アメリカサンタクルーズホームステイ開始
令和元年アメリカサンタクルーズ長期留学開始
令和4年Microsoft社Surface Go 3導入

校訓「自主堅正」

高輪の校訓である「自主堅正」とは、自分の意志で自分を戒め正すことを意味します。自分の意思で判断し、その行動に責任が持てるようになった時、はじめて「自分」が確立された事になります。このように「自分」が確立された人は周囲に流されることがなく、他の人からも有為な人材として信頼されます。「自主堅正」の言葉には、厳しい現実の困難を乗りこえ、絶えず人格向上に努力する精神を持った青年になってほしい、という願いが込められています。

校章

高輪学園は、明治18年、浄土真宗の本山の西本願寺が新時代の要望に応え、進取の気性に富む成年男子の育成をめざして、京都七条猪熊の地に「普通教校」を開設したことにはじまります。校章は、古くから西本願寺が用いていた菊花紋(西本願寺は門跡寺院であったためこれを用いていました)をもとにした「菊くずし」を図案化したものです。

校歌

作詞 高輪学園
校閲 土井晩翠
作曲 近衛秀麿

昭和9年在校生の懸賞募集により歌詞が集められ、土井晩翠氏の校閲により近衛秀麿氏が作曲、昭和10年学園歌となり、昭和28年一部のメロディー章句の改訂がおこなわれ現在にいたった。